7スレ189-193

189 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 00:44:32.85 ID:/CBv5fS0
橘克也という希代の実業家が一代で築き上げた飲食チェーン橘グループ。
ファミレスから居酒屋、回転寿司まで手広く展開するその事業は
高度成長からバブル崩壊、失われた20年と時代の荒波をくぐり抜け
右肩上がりの成長を続けてきた。その最大の要因は橘克也の天才的とも
いえる経営手腕と先見性、そしてカリスマ性だろう。
橘グループは上場しておらず、これだけの巨大企業となった今も
橘克也のワンマン企業であった。

――その橘克也が死んだ。享年76歳。会長職に退いた後も死の直前まで
現役で経営に辣腕を振るってきた。橘克也の死は経済界に衝撃を与えた。
もし、橘グループが上場していれば、その株価は大暴落をしたかもしれなかった。
しかし、橘グループは橘克也の死を発表した後も、揺るがなかった。
橘克也はワンマン社長にありがちな自分の死後のことをないがしろ
にするということはなく、生前から自分の死後の後継体制について
熟慮し、道筋を作ってきた。それは、自分の死後も橘グループが繁栄し、
国民の食を満たして欲しいという、その理念に基づくものであった。

190 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 00:46:35.99 ID:/CBv5fS0
橘克也の死ぬ10年以上前から、橘グループの取締役会は徐々に
世代交代が進み、刷新されてきた。飲食チェーンとしては珍しく
外国人取締役を登用し、社外取締役や女性取締役も積極的に迎え入れた。
18人の取締役はまさに橘克也が選びぬいた精鋭集団と言えた。

しかし、橘克也は集団による合議制を信じていなかった。それは
橘克也が終生ワンマン社長として、時に取締役会の反対を押し切り
経営をダイナミックに展開させ、それが常に成功してきたという自身の
成功体験によるものであった。トップの判断には何よりスピードが必要である。
そして、責任はトップが取る。これが橘克也の思想であった。
現に、橘克也が90年代後半に取締役会の反対を押し切って回転寿司ブームに
続けとばかりに大々的に展開させた回転ケーキは、会社の屋台骨を揺るがせたが、
その時橘克也は自身の個人財産の大半を売り払い、その損失の補填に充てたのだった。
(後に、橘克也はその後に来たスイーツブームを見て、自分の失敗は
回転ケーキを始めたことではなく、中途半端に撤退したことだと述懐した)

橘克也が自分の死後構想したのは、取締役会よりさらに少人数による
意思決定機関の創設だった。三人寄れば文殊の知恵と言うように、
自身の代わりが務まる人物は今はいない。それでも、自分が選んだ
三人なら、きっと叡智を結集してよりよい判断、もしかしたら自分一人が
するよりもいい判断をするかもしれない、そう思ったのだった。

191 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 00:48:29.41 ID:/CBv5fS0
橘克也が選んだ三人とは誰か。橘克也には子が三人いた。長男の克己
次男の龍二、長女の愛である。長男は10年前に亡くなり、長女は外に嫁ぎ
橘グループの経営には参画していない。残った龍二は橘克也が亡くなった当時の
専務取締役であった。現在、48歳。長男の克己が入社以来一貫してグループの
中枢である新規事業PTや人事、経理などを勤め上げてきたのに対し、龍二は
一貫して現場の人であった。大学時代から橘克也の息子であることを秘して、
橘グループの店でバイトをし、卒業後正式に入社すると、そこの店長となった。
誰からも好かれる龍二の性格は店の雰囲気を良くし、店員のモチベーションを高めた。
龍二が店長を勤める店はどこも繁盛したし、新規店の立ち上げの際の店長も何軒も
任された。社長の息子が新規展開の店の店長を勤める。失敗させてなるものかと
社員はそれを必死で支える。龍二は一貫して現場の人でしばしば克也を含む経営陣にも
楯突いた。仕入れ値を下げることに反対し、店舗独自のオリジナルメニューなど
店舗の独自性を尊重した。克也が龍二を取締役会に迎え入れたのは、龍二が41歳の
時だった。それは、長男の克己が32歳にして取締役会に名を連ねたとのは対照的で
あったといえよう。しかし、克也は決して龍二のことを意図して遠ざけていたわけ
ではなく、むしろ自身が判断を下す際には現場をもっともよく知る龍二の意見を
参考にした。取締役となってからも龍二は全国を飛び回り現場を視察し、その傍ら
経営の勉強にも余念がなくまさにパワフルに働いていた。そんな龍二が克也の死後
三代目の社長となることには、誰からも異論はなかった。

192 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 00:49:32.11 ID:/CBv5fS0
二人目は、村木恒男、62歳。二代目社長である。村木は元々大手都市銀行
で働いていたが、その才能を買った克也がヘッドハンティングして橘グループに
迎え入れたのだった。当時45歳。それまでの史上最年少取締役であった。
村木は元々上場していないが故にルーズともいえた橘グループの財務、会計、
決算といった経理全般を一気にグローバルスタンダードへと引き上げ、当時は
橘グループもいよいよ上場かと経済界を騒がせた。

さらに、銀行員時代に築いた商社との人脈を駆使し、高品質で低価格の食材の
買い付けに成功し、デフレ時代に対応した安価でうまいものを提供するという
克也の理念の実現に貢献した。3年前、克也が二代目社長に息子の龍二では
なく村木を指名した際は、内部事情をよく知る者ほど、その人事に納得した。
克也から社長に指名された際には「しばらくお預かりします」と言って引き受けた
という。そして、その言葉通り、克也の死後龍二に社長を譲った。

村木自身は克也の死後引退を願ったが、克也の遺言を尊重し、相談役という立場で
会社の最高決定機関の一員となったが、取締役からは外して欲しいと言って、
それは受け入れられた。

193 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2012/07/17(火) 00:50:51.07 ID:/CBv5fS0
そして、三人目が橘克典、28歳。橘克也の長男克己の一粒種で、橘グループの
若きプリンスと謳われる男だった。その経歴は申し分ない。高校卒業後、アメリカ
に渡りアイビーリーグの大学で学びMBAを取得、大手投資銀行から熱心に誘われ
たが、三年で卒業して帰国すると橘グループに入社。周りからの羨望とプレッシャー
混じりの視線をものともせずに、企画開発Gで自ら企画したコンビニとのコラボ
商品を大ヒットさせただけでなく、広告では斬新な宣伝かつブランド戦略で
橘グループのブランド力を高めることに一役買った。

克也は克典に対し特別扱いすることはなかったが、時折呼び出しては自ら帝王学を
学ばせていた。死ぬ一ヶ月前村木に対し、後五年長生き出来たら、克典に会社を
任せられるのに、と言って涙を流したという。克典はプリンスと呼ばれるのに相応しく
180センチを越える長身に甘いマスクのイケメンだった。しかし、ビジネスエリート
という風は感じさせず服装も普段はごく普通のスーツを着こなし、親しみのある
笑顔で他者を見下すことはなかった。会長の孫ということで、意識過剰になる上司も、
最終的にはそんな克典のペースに巻き込まれ、克典に任せておけば大丈夫という
気持ちにさせられ、結果として成果を上げていくのだった。

克典は、克也の死後、遺言で父を凌ぐ28歳での取締役就任が決まり、さらに
最高意思決定機関の一員となった。さらに、内々では、五年後には社長になることも
約束されていると囁かれている。若くして大企業の大きな責任を負うこととなった
克典からは、気負う態度は見られず、かと言って自信満々という風でもない、
早くも祖父克也にも似たカリスマ性が滲み出ていたのだった――――。

  • 最終更新:2014-09-08 14:55:47

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